「トロッコ」(芥川龍之介)

薄暗い藪や坂のある路は未だに続いている

「トロッコ」(芥川龍之介)
(「蜘蛛の糸・杜子春」)新潮文庫

八歳の良平はトロッコに
強い興味を持っていた。
ある日、
土工に「押してやろうか」と
持ちかけると、
意外にも受け入れられ、
一緒にトロッコを
押すことになる。
はじめは有頂天だった良平は、
しかししだいに
帰りが不安になってくる…。

芥川の作品の中では
比較的明るい物語であり、
少年少女向けであると
一般にいわれています
(絵本も何冊か出版されています)。
そのほのぼのとした
情景描写の素晴らしさについては
ここで取り上げません。
読み返すたびに考えさせられるのは
最後の4行です。

「良平は二十六の年、
 妻子と一しょに東京へ出て来た。
 今では或雑誌社の二階に、
 校正の朱筆を握っている。
 が、彼はどうかすると、
 全然何の理由もないのに、
 その時の彼を思い出す事がある。
 全然何の理由もないのに?
 塵労に疲れた彼の前には
 今でもやはりその時のように、
 薄暗い藪や坂のある路が、
 細細と一すじに
 断続している。…」

ここが芥川作品特有の、
最後のどんでん返しでしょう。

「薄暗い藪や坂のある路」
その時に経験した不安な帰り道です。
大人たちから急に突き放された失意と
孤独感に満ちた道筋であったはずです。

「塵労に疲れた彼の前には」
つまり、現在の彼の状況が、
8歳の彼の状況と重なったときに、
心細い道筋が
フラッシュバックされるという
ことでしょうか。

「全然何の理由もないのに?」
このフレーズが
繰り返されている以上は、
この一文の意味するところは
疑問ではなく反語です。
理由は存在するのです。

「或雑誌社の二階に、
 校正の朱筆を握っている」

当時の校正の仕事であれば、
将来性はさほど
見込めなかったのではないでしょうか。

「良平は二十六の年、
 妻子と一しょに東京へ出て来た」

少年の頃には「わっと泣き出さずには
いられなかった」家が、
つまり帰るべき家があったのです。
今はそれが存在しない状況を
表しているのだと思います。

本作品は、
少年時代のほろ苦い経験を
回想するような
センチメンタルなものではありません。
今現在も彼は
周囲の大人に突き放されるような
経験を重ねていて、
それゆえに「薄暗い藪や坂のある路」が
未だに彼には続いているのです。
しかも
泣き叫ぶのが許される家も捨てた今、
自分一人でその状況と
対峙しなければならないのです。
少年時代の思い出以上に、
最後の4行に込められた
大人になった良平の苦悩にこそ、
目を向けるべき作品なのでしょう。

(2019.8.23)

【青空文庫】
「トロッコ」(芥川龍之介)

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